奄美大島とは

ハートが見える風景

奄美大島は鹿児島県本土から南西に約380km~560kmの海上に点在する大小8つの有人島からなる奄美群島の中で最も大きな面積を有する島です。単体の島としても日本では二番目の大きさです。

マネン埼展望台

島の北部は山の少ないなだらかな地形で、海岸線には美しい砂浜が広がり、毎年たくさんのウミガメが産卵に訪れます。
島の中南部の大半は山岳で占められ、世界の亜熱帯域の中でも限られた地域のみ成立する原生的な亜熱帯多雨林が広がっています。                        

ここは「生きた化石」とも例えられる国の特別天然記念物のアマミノクロウサギをはじめ、ルリカケス、オーストンオオアカゲラ、アマミイシカワガエルなど、学術的にも貴重な、固有種・希少種の野生生物の生息地となっています。それゆえに、「東洋のガラパゴス」とも言われています。

歴史・文化

琉球時代~戦後に至るまでの統治下時代

その歴史は長く、初めて奄美大島の存在が歴史書に登場するのは1400年近く前である。琉球王国(現在の沖縄)に統治されるようになるころには交流なども盛んになり、その後薩摩藩の琉球王国への侵攻により薩摩藩(鹿児島県)に統治されるようになる。

この頃は薩摩からの厳しい砂糖(さとうきび)の取り立てによりすべての田畑(自分たちの食物田畑も)さとうきび畑に変えられ、山々も段々畑へと変えられ土地のほとんんどをさとうきび畑に変えられたほどでした。
昔の薩摩藩が一気にその財政を広げたのには奄美大島の努力があったからだといわれています。その時を「さとうきび地獄」と言われています。
この頃、西郷隆盛が菊池源吾と名を変え薩摩藩から潜居を命じられ、奄美大島にて愛加那と暮らしたのは有名な話である。

1879年にやっと日本国となるが、第二次世界大戦後アメリカの統治下にはいる。
が、日本国への復国運動の過熱により1953年12月25日に沖縄に先駆けてアメリカから日本へのクリスマスプレゼントという形で本土への復帰を果たした。
以降、様々な国や文化の影響を受け続け独自の生活スタイルを築きあげた奄美大島は今なおその自然や文化をほとんど崩すことなく現在に至る。

それもまた奄美大島を語る上で外せない要素のひとつである

 

楽しみ方プラン

ハートロック

沖縄はよく行くけど、すぐお隣さんにある奄美大島は行ったことがない、、、なんて声はよく聞く話です。私共ではOCEAN VIEW結の海に泊まっていただくことを前提として、奄美大島での滞在中のプランを考えさせていただきます。スキューバダイビング、カヌー、パラグライダー、サーフィンなど楽しみ方は無限大。観光地や食べるところなど地元の人間しか知らないところも多く点在しています。そんなお客様のあれしたいこれしたいを相談しながら決めていく奄美コーディネーターが我が社には在籍していますので是非ご相談ください。